「円形闘技場」(L’Amphithéâtre ランフィテアトル、またはLes Arènes レ・ザレンヌ)。
各国に現存する円形闘技場の中でもアルルのそれは、特に保存状態の良いものの1つとされています。かつては剣闘士の戦いや猛獣狩りといった見世物の舞台であり、今日でも闘牛やその他催し物で使用されている現役の「闘技場」です。
ところで、実は円形闘技場の中で人々が生活をしていた時代があったのです。ご存知でしたか?
西ローマ帝国が滅亡(476年)する古代末期になると、諸民族の流入によって南フランスは徐々に混乱に陥ってきました。このあたりから、アルルの人々が円形闘技場の内側に少しずつ住み始めたという話もありますが、決定的なのは6世紀頃からです。イスラム教徒であるサラセン人が地中海沿岸にやってきます。この異教徒を前に、アルルの人々は円形闘技場の中へ避難し始め、アルルの中の「小都市」を形成したと言われているのです。
また、中世時代に起こった多くの争いなどから身を守るためにも、この「小都市」は大いに活用されました。その結果、円形闘技場はその造りを活かして要塞化していくことに。防衛のため2階アーチ上部に建てられた塔は、その当時の名残です。
中世の混乱が落ち着いた後も、この小都市は1825年に用地が接収されるまで機能し続けました。そして、1826年から1830年にかけての大規模な修復が終わると、現在まで続く「闘技場」へと再び姿を変えたのでした。
ちなみに、円形闘技場の内側には通りや広場、教会などがきちんと整備され、一時は200以上の家が軒を連ねていたとか。客席部にも建てられていたと言うからびっくりです。現在の円形闘技場の姿からは想像ができませんね。